懲戒解雇を撤回せよ、パワハラ認めろ~高部啓さんの闘い

山口地裁下関支部で裁判始まる

 高部さんは1996年4月美祢(みね)郵便局集配課採用、2005年7月下関郵便局保険課異動、2011年4月厚狭(あさ)郵便局貯金保険課異動、2015年11月小月郵便局貯金保険課異動となり、2018年11月に心身ともに猛烈な負荷がかけられる業務実態の中で脳出血を起こし左半身麻痺に。 約一年半休職とリハビリを経たのち内務作業に復帰し、2022年1月下関郵便局かんぽサービス部に集約・異動していましたが2023年4月14日、過去の「不適正」契約を理由に懲戒解雇を受けたものです。46歳でした。

 高部さんは自力で闘いに起ち、弁護団も形成され日本郵便社員としての地位確認とパワハラと過剰なノルマによる発症に対する慰謝料を請求しています。2024年3月19日第一回口頭弁論が開催され、報道されました。

  • 寄せられた手紙

すさまじいノルマの強要

 朝礼で司会当番が「今日も頑張りましょう!」というと逆に大声で「頑張らんでいいから保険をとってこい!」と管理者から怒鳴られ一日がはじまる。「年間新規契約を300万円保険成約できない社員は最低な社員」と言われ涙を流して崩れおちた多数の同僚。ある人は「すみません、できません、ありません」と毎日言い集配に異動、ある人は床に土下座させられ最後にはお客のお金に手をつけた、ある人は壁にぴったり顔をくっつけて立っておけと言われ、数分後には「いつまで立っているんだ!」と怒鳴りつけられ涙を流して外に出ていった。「班長、今日は私が打ちますよ」と若い社員。「打ちます」=「自爆します」だった。翌日には「昨日のは身内だろう!今日はあるんだろうな!」とずっと追いたてられていた。

 総合担務(午前中は集配、午後から貯金保険)もあった。だから自分では買えないので70歳過ぎの母親が立て替えで購入して、年賀状と漬物をセットにして一人で高速に乗り福岡県の親戚まで運んでくれていた。叔父は頒布会を10年以上で小包年間36個を自爆協力してくれていた。

 今後裁判が本格化しますが、高部さんは半身が麻痺し、おだやかな家庭生活も奪われ、解雇になりながら強い生命力で奮起しておられることをお伝えします。

懲戒解雇を撤回せよ、パワハラ認めろ~高部啓さんの闘い” に対して3件のコメントがあります。

  1. 宇田川朝史 より:

    すさまじいパワハラですね。真面目な人ほど追い詰められていく、こんな会社が存在を許されているのが信じられません。微力ですが、応援させていただきます。

    1. kumamon より:

      応援ありがとうございます。
      力になります。

  2. 前島密 より:

    かんぽ問題当時を実経験として書きます

    ①実績が不調な社員は上座に呼ばれます。
    ②そして何を言っても不正解な質問をされます。
    ③そして恫喝・罵声を浴びせられます。
    ④そして人格を完全否定されます。
    ⑤全員のいる前で笑いものにされ辱められます。
    ⑥家庭の事にまで言及してきます。

    これが毎日続き、真面目な社員は心が病み、休職か退職に追い込まれます。もしくは数年間心を殺して耐えることができれば左遷されます。
    通報先も社内なので、まったく機能していません。

    高部さん、今まで涙を流しながら辞めていった方々の思いも合わせて頑張って下さい。

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